小泉 司 & kawasaki ZEPHYR750(2018.12.09/SOUKA) |


たぶん、ひとりでどこか遠くに行きたかったのだと思う。
小さい頃から落ち着きがなく、電車に乗ればひとりだけ違う駅で降り、
デパートに行けば迷子になり呼び出される。
母親のスカートの裾をしっかりと掴んで離さない2歳下の弟と違い、
目を離したすきにアッという間にいなくなる、油断できない兄でした。
中学生の時。
授業中に広げた地図帳を見て、直線距離で50km離れている
祖父母の家に行ってみようと思った。
ダブルフロントライトの5段変速。
向かうは祖父母の家。
電車とは違う風景が見えた。
大学に入り、バイクの免許を取った。
新車で予算内に収まる車種は少なく、消去法で買ったのはRZ250R。
2ストロークの凄まじい加速。
自分の中のモンスターが目を覚ました。
ずっとバイクに乗り続ける人と、
数年乗って降りる人の分岐点はこのあたりなのだろう。
2台目のVFR400Zで事故を起こして入院。
南伊豆まで見舞いに来た母に何気なく「バイクやめようかな」と口にした時のこと。
その答えは予想外だった。
あなたがバイクを好きだというのは、
その程度だったのか?
結婚して子供が出来てようやく分かったことだけど、
大切な我が子がバイクに乗ると言い出した時、
どれだけの決意で口出しせずに乗ることを許したのだろう?
闇雲に走り回ることから、在学中にオーストラリアを
一周する目標を立て、オフロードバイクで2ヶ月かけて完走した。
やがて会社員になり、海外駐在になったり、
結婚したり子供が出来たり、一人旅に出るのが難しくなった。
そうだ、レースだ。
これなら一日一話完結。
思いっ切り走れるぞ。
VF750Fを手に入れ、改造し、初めてサーキットを走った。
自己流の改造、乗り方で中盤グループに揉まれること約6年。
その後、パワービルダーの針替社長と出会い、
ゼファー750で表彰台の常連になった。
ところが2位とか3位ばかりで、なかなか優勝出来ない。
たまる一方の優勝以外のトロフィーとストレス。
いつしか奥多摩の峠仲間と楽しく走るはずのバイクは、
戦場に出向く兵士となり、傷ついていった。
2011年11月。念願の優勝。
後続を10秒引き離すぶっちぎりの独走だった。
よく頑張ったゼファー。
よく頑張ったオレ。
母が亡くなりちょうど10年。
ようやくあの言葉の意味が分かった。
そうだ。
俺がバイクを好きなのは、
そんな程度じゃない。
転んでもまた起き上がり、
走り出すことが一番大事なんだ。
You will Bike.
君はバイクに乗るだろう。

奥多摩の仲間達と楽しく走るため。
17年乗っています。

