山腰 一穂 & GSX1100S KATANA(2019.11.17/HIRATSUKA) |

高校生になったある日、近所の友達のバイクのリアシートに
乗せてもらったのが他の何よりも刺激的だった。
その瞬間から「バイクって気持ち良くってカッコいいな」
と意識するようになりました。
スズキに乗りはじめた一番の理由は
ブラックレインの佐藤浩史(松田優作)が乗る黒いGSX-R。


バイクに乗りはじめた頃。
世間にはキリンにカブれたライダーがあふれていた。
そんな彼らは新人の私に、何かにつけて
「バイク乗りってのはよぉ」なんてお説教をしてくる。
まったく冗談じゃないよ。
なんでカタナに乗ってもないやつに
キリンかぶれな説教されなきゃならないんだ。
クソめんどくせぇ。
じゃあ俺が乗ってやろうじゃねぇか。
どうせ乗るならコンディションのいいやつだ。
新車なら間違いないだろうと
電動アシストクラッチとやらが付いた国内仕様を36回払いで購入。
初めての大型車、初めての4ストローク。
期待に胸を膨らませて納車したカタナに私は驚愕する。
たかが車線変更するにも今まで乗ってた
400ガンマみたいにスルっといかない。
道に飛び出してきたニャンコを避けようと
ブレーキを思いっ切りかけてもタイヤがロックしない。
高速道路ではVFR400にやっつけられ、
うねった路面で速度を上げるとハンドルがぶるんぶるんと左右に振れる。
カウルの面積が少ないから
冬は体中が寒湿疹みたいになってかゆくって仕方ない。
恐ろしいくらいキビしいな……。
一度でも試乗していたなら買わなかっただろう。
だが身銭を切った私はそれは真摯にこのバイクと向き合った。
おかげで36回の支払いが終わった頃には
友達のボロいA2ニンジャでさえ
「凄い! 軽いし止まるしヒラヒラ曲がる!」
なんて感動出来るほどの違いが分かる男に成長していた。
古いのも新しいのも、とにかくいろんなバイクの楽しい部分を感じられる。
そういう意味で、乗りはじめた頃よりも
もっともっとバイクに乗るのが好きになっていた。
時を同じくして友人のバイクに試乗する機会があった。
その750ニンジャはフロント16インチを頑なに守りながら恐ろしいほど距離を重ね、
アタマがおかしいんじゃないかってくらい改造を重ねてきた車両である。
エンジンはダウンドラフトのZZR1100に換装されている。
何度も雑誌に載ってるようなこのマシンに
ホントに乗っていいんだろうか?
いやいや。どの改造車よりも一番乗ってみたいと思っていた一台だ。
「出来ることならこのままどこか遠くまで旅に出たい……」
グラデーションの派手な外装やトンがったスペックとは裏腹に、
それは本当に乗っていて楽しい車両だった。
またある時、別の友人がようやく完成した
黄色いストロボカラーのFZ750に試乗させてくれた。
前述のニンジャと同じショップが作った本気なFZ750。
エンジンは3GM(FZR1000)に換装したのをチューニングしてある。
5バルブエンジンはまるでF1みたいなレスポンスで吹け上がり、
乗ってみたらびっくりするくらい楽しかった。
「改造車って凄いな。こんなに楽しくてカッコいいなんて……」
たぶんこの頃から私は何かの毒にやられていたんだと思う。
カタナでの高速道路は嫌いだったけど、どんなマシンでも
等しく加減速を繰り返さないと走れないような峠道はなんとなく好きになった。
下道だったら国道1号2号3号線とつなげば九州に行けることも経験した。
その頃9Rも乗っていたけれど、何故だかカタナを嫌いになるわけでもない。
そんなある日、手酷く転倒した。
クランクケースに穴が開き、カウルも何もかもがグシャグシャ。
軽トラでカタナを引き上げ、バイク屋に向かいながら心が痛かった。
20代を共に走ったこのバイクは、もうここで終わってしまうのか……。
後ろに積んだカタナを見ながら、ニンジャとFZのことを思い出した。
このカタナを終わりにしたくない。
でもただ修理しただけではいずれ心は離れるだろう。
あの二台のように、もう一度ここからこのカタナで走りたい。
「改造で直したいんです」
バイク屋は最初、本気で取り合ってくれなかった。
あの二台のイメージは私の中にある。
このカタナに当てはめるなら必要なのは油冷エンジンだ。
必要な部品と車体(GSF1200)を自力で準備するのに一年半かかった。
作業が始まり、日付が変わるまでバイク屋に通う生活が3ヶ月続いた。
みんな眠い中、「これどこに補強入れるんだっけ?」
「GSFの電装でカタナのメーターにつなぐのってどうすんだろ?!」
雑誌を読み漁り、人に聞き、
時に他のバイクを覗きながら、カタナは作られていった。
だんだんカタチになってきた頃。
この改造がもうすぐ終わってしまうのがなんだか
寂しいような不思議な気持ちになっていた。
そしてある晩の午前2時。
「とりあえず走れるからちょっとガソリン入れに行ってきな」
と店主にキーを手渡された。
とうとう走り出す。
あの日無くしかけた私の大切なこのカタナが。
走り出した次の瞬間、エアクリーナーを取っ払ったからだろう。
あまりのトルクのなさに拍子抜けした。
こりゃあダメだ。
でもなぜだろう。不思議と絶望感はない。
いやむしろ「改造ってのは奥が深いんだから、まだまだこれからだよ」
そう背中を押されたみたいな清々しい気持ちになっていた。
あの晩の綺麗な月を私は今でも覚えている。
「いやあー。こりゃあぜんぜん走んないですね!」
店に戻った私も、迎えてくれたみんなも、みんな笑顔だった。
ちゃんと走るようになった頃にはそこから1年近い月日が経っていた。
良い時も悪い時もあって、走って走って、あれからずいぶん時間が経った。
実はその後も大きく壊してしまったこともあったけど、
いろんな人たちに出会い、お世話になってやっぱり私はこいつに乗っている。
改造に終わりなんかなかった。
気がついたらネジ1個、ウインカーのリレーひとつにまで思い出が染みついている。
このカタナは、そんなバイクの楽しみを私に教えてくれた
大事なヤツなんです。

中学時代に行ったきり訪れることのなかった天草のじいちゃんの家に
国道1号線、2号線、3号線と乗り継いで行った時。
到着して「自分の力でとうとうここに来れたんだ」って感慨深かったです。
モタード耐久レースで人生で初めての「優勝」を経験した時。
その後、モタードの草レースで三冠を2回連続で獲れた優勝の表彰台
(ずいぶん敷居の低いレースでしたけど)
旅先で出会った人となんてことない雑談をしていて
「全然離れた場所に生きてる私とこの人の日常が交差してるんだなあ」
と感じられる時。
