朝隈 憲久 & SUZUKI TS250(2014 1024) |

Q1:バイクに乗ろうと思ったキッカケっていうか、影響受けたモノは?
Q2:「バイクってサイコー!」って思った時。
Q3:史上最悪の出来事は?
★ 1 ★
中学生の頃、親戚のお兄ちゃんが通学に使っていたヤマハGT80(ミニトレ)に乗った時、速さ・カタチ・音に憧れ、少年キングで読んだ『ワイルド7』でバイクに憧れを抱きました。
★ 2 ★
高校生の頃、必死でバイトしてホンダ CB400フォアを買って初ランをした時。
★ 3 ★
峠のコーナーで砂に乗ってフロントが滑って転倒、大ケガ。
東名の町田付近を走行中、チェーンが切れてリアロック。死ぬかと思いました。
R246とR16の交差点で右折待ち中、交差点のド真ん中でシフトレバーが折れてポロリ。必死でバイク押して交差点を抜け出し……轢かれるところでした。
★ ★ ★
国立って街ではね。
たぶんピアノとかバイオリンが弾ける、奏でる系の少年少女がそこらじゅうを歩いている。
たぶん絶対音感持ってる演奏家とか声楽家とか作曲家のたまごがうじゃうじゃ歩いている。
たまごの街。
そのエリア界隈でしか見られない地域限定ケーブル番組でいうと『発見! たまごタウン!』って感じで。
人は誰でもなんかのたまごから返って今がある。
寿司屋のたまご。
大工のたまご。
力士のたまご。
俺は編集者のたまごだった。
自覚はなかったけどそういうことにしとこ。
今もなんかのたまごかもしれないけど。
国立駅から国立音大附属高校がある通り、通称かどうかは不明なのだが国立音大附属高校通りに入ってちょっといくと、ここだけ昭和みたいな3軒。
酒屋、クリーニング屋、魚屋……あ。魚屋じゃない。
魚屋の看板だけ残したアサクマさんのお店『BOTTOM LINE』(http://blog.livedoor.jp/bottomline1960/)だ。
映像関係……誰でも知ってるような国民的ドラマとかの現場で第一線を張り続けてきた元アートディレクターのアサクマさんが、自らの手で魚屋さんを改装して作り上げた城。
プロによるディレクションですからね。
凝りに凝ってますよ、置いてあるラジカセに至るまで。
あ。
何屋さんか?
ざっくり言っちゃうと70年代屋さんでしょうか。
サーフボードにスケボー、アメカジな古着に小物にスニーカー……って青春時代のアサクマさんの心に突き刺さって、今も刺さりっぱなしの物を全部集めちゃいました的な。
板なんだホントに。つかそもそも板だよね。みたいな、元祖というか原始な木製のサーフボードなんて初めて見たなあ。
入り口に看板っぽく立てかけてあるからお店のアイコン的な、イキフン物な、小道具な感じかと思ったら、アサクマさんが作って、実際使ってもいるという現役実働バリバリの逸品だった。
ロマンだなあ。
きっと最初にサーフボード作ったのは、星の位置を見ながら夜でも手漕ぎの船に乗って隣の島まで行けるようないにしえの南の島の住人だな。
星が出てなくて、かつ台風の後で海がシケてても、風の向きと波の向きで方角が分かるみたいな。
ってな南の島の人達をこないだテレビで見たんだけど。
アサクマさんはBOTTOM LINEのたまごだった。
自覚はなかったかもだけどそういうことにしとこ。
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