三田 大介 & SUZUKI SW-1(2013 0801) |

Q1:バイクに乗ろうと思ったキッカケっていうか、影響受けたモノは?
Q2:「バイクってサイコー!」って思った時。
Q3:史上最悪の出来事は?
★ 1 ★
子供の頃から父親に「バイクの免許だけは取らせない」と言われ続けて逆に興味が湧いたのと、友達や先輩にバイク乗りが多かったこと。
★ 2 ★
このバイクに限っては、マトモに動いているだけでサイコーです。
★ 3 ★
多摩川の橋の上で転倒。
バイクは10mくらい滑って前のトラックの後輪に激突。
トラックにキズがなかったのでひたすらを頭を下げて謝罪。
革パンはボロボロになり、破れたダウンジャケットから羽根をヒラヒラばら撒きながら246を自走で帰りましたが、右肩を強打して1週間腕が上がりませんでした。
痛かった。
環八の交差点ド真ん中、右折途中でエンジン破損……。
焦った。
通勤途中にベルトが切れて、手押しで通勤……。
疲れた。
★ ★ ★
SW-1がデビューした頃、俺はバイク雑誌の駆け出し編集者で、まだまだあまちゃんで、要するに若造だったのでSW-1は煙たい存在だった。
つのは、「SW-1に乗るのはバイクだけじゃなくてファッションやカルチャーにもアンテナびんびんのトンガリキッズ」みたいなイメージがあり、編集部内にも「とりあえずお前が一番若いんだからなんとかしろ」的な空気があって、結果的に「SW-1で1ページやれ」とか言われるわけだが、当時の俺は、人口わずか15人の全員がセンスのない単車乗りの新しい国に入りたくてしょうがなかったり、あわよくば日常会話の中で普通に「上等じゃねえのヨ!」とか「うるせんだよ、ドブスゥ!」とか言ってやろうと狙っている25歳前後の好青年だったので、困ったなあ、と。
色が洋菓子じゃん。
カタチはマカロンじゃん。
あわよくばマフラーに有刺鉄線を巻いてやろうと思っている25歳前後の好青年には色もカタチも有り得なかった。
乗ってみた。
速かったのか遅かったのか。
重かったのか軽かったのか。
覚えていない。
でも乗ってみたけど何も心に残らなかったことは覚えている。
手の打ちようがねっすよ。
俺にはなんともできねっすよ。
そしてSW-1はたぶんあんまり売れなかったので、発売から割と早目に生産中止になってしまった。
それから幾星霜。
俺の中でのSW-1は煙たくて手の打ちようがない存在から、名車というか、5つも6つもステージがあるフェスで1番目か2番目にでっかいステージに出られるバンドみたいなバイクになっていた。
この人ァ勝負してますよ。
当たりに当たって砕け倒した。
うん。
人気なかったよ。
でもそれがどうした。
オラはオラだ。
だからごくご〜くたまにSW-1を見掛けるとうれしくなる。
バレットモーターサイクルのフジ君(http://bulletmoto.exblog.jp/)が三田さんを紹介してくれた。
「いい感じにイジってるのよ」と。
なんだろう。
イジるとこあんのか、SW-1って。
「きばこ。木箱が付いてる」
木箱ぉ?
それは上級者すぎる。
そして少年すぎる。
三田すぎる! いや、見たすぎる!
撮影当日、待ち合わせ場所に木箱が、いや三田さんが現れた。
アーミーカラーつの?
深緑にオールペンされたマカロンボディ。
フロントには背の低いカラー風防。
ハンドル回りと木箱の横には革の小物入れ。
そして木箱だ。
バッグも試してみたけど……これじゃない。これでもない。つってたどり着いた自家製木箱。
しかもこれ、7年乗ってきた中で2代目の木箱なのである。
木箱のフタがちょっとだけ開いているのでなんぞ不具合でも?
と思ったら中には三田さんの愛猫が!
木箱も、バイク知ってる目線じゃなくて少年目線のカスタムも、でもって木箱の中の猫も含めて完成してるじゃん!
手の打ちようじゃなくて非の打ち所がない。
これが答えだったのか。
大げさじゃなく、三田さんとSW-1の組み合わせは「スズキへの回答」
そして25歳前後の俺にも「正解はコチラ!」って教えてろう。
三田さん号は仕事場の『みのり鍼灸整骨院』(http://minori.vg/index.html)に停まってることもあるそうです。
★ ★ ★