須賀 恒一郎 & HONDA CB750FOUR K1(2012 1017) |

Q2:「バイクってサイコー!」って思った時。
Q3:史上最悪の出来事は?
★ 1 ★
まずは小2。
近所の駐車場の片隅で朽ち果ててた陸王の存在感。
小5、通学路に捨ててあったOHV(推定。だって60年代だから)のカブ。
これはみんなで転がして遊んでるうち、突然エンジン掛かって壁に激突。
おふくろが巡査を呼んで引き取ってもらうのを、ドキドキしつつ物陰から見守った(この2つの事件には、トリニティスクール & ダイナベクター代表・冨成 次郎が絡んでいる。奴は何故か、ガキのくせに「ナンバーが外してあるバイクは廃車だ」と知っていた)
同じ年にデビューしたCB750K0を道玄坂上の大沢サイクルで目撃。
当時、学年1、2を争うタッパ(160cm代後半)の俺でも、つま先すら接地できないデカさと、エクゾースト音で窓ガラスがビリビリ震えるのはショッキングだった。
「いつか絶対BIKE!」ってほどじゃなかった俺を、確信犯に仕立て上げたのは『EASY✩RIDER』
俺の世代じゃあ、ご他聞に漏れずって感じだろう。
先ずはROCK在りき、だった。
中2当時、8mm自主映画に出てて、監督だった友人がサントラに使った『BORN TO BE WILD』にヤラれ、ホモのハッテン場として有名な2番館で観た。
字幕の歌詞の対訳、反逆のメッセージ、ドラッグ、果てしない旅……。
BIKEは映画製作と並ぶ人生の目的になった。
タイムリーというか運命というか、山口ベニーという自転車メーカーがズバリ「イージーライダー」というモデルを出した。
ノーマルのFフォークをもう1セットGETして、R246大橋付近の鉄工所でとにかく溶接してもらう。
職人さんに「単車か?」と聞かれ、「え? オレ、バイク乗りに見えるんだ……!」と無性に誇らしく感じた。
「ナイスチョッパー!」と声をかけてくれたフーテン。
「チャリ、正解だよなぁ……」と感心してくれた、絵画館前のサイクリングコースにいた50cc軍団の兄ちゃんたち。
しつこく「どうしても貸せ!」と頼まれ、乗せてやったら大喜びで「PETER FONDAみたいだろ!!」って得意絶頂のアメスクのガキや、代々木公園でチャリンコデートした外人の女の子たち。
「チャリですらこの熱いリアクションの嵐なんだから、ホンマもんのBIKEに乗った日にゃあ……」と妄想メーターのリミッターは月月火水木金金でブチ切れていた。
さて、草木はおろか、中2のガキも眠らない渋谷の丑三つ時。
ところは渋谷警察署並びの公団住宅屋上。
盗難バイクの試乗会で初めてエンジンの掛かった状態のバイクにまたがった。
リジッドのMONKEY50は、勢い余って転倒してもハンドルを離さない俺をコンクリートの床の上で延々引きずり回し、腕から膝からズタズタにしやがった。
「50ccって卵1個分の容積なんだぜ」とメカに詳しい盗難実行犯の友人。
そうか、ニワトリの卵に負けたのか……。
ほろ苦い敗北感と妙な畏敬の念、そして征服欲に火が点いた。
ちょうどその頃、新聞の社会面に「疲れます、イージーライダー」って見出しの記事が出た。
暴走族の改造車事故が続発。
原因はイーグルハンドルと断定され、デカいハンドルは目の敵にされていた時代。
カスタムって言ったって貧乏臭い3段シートにロッキーミラー、竹槍マフラーぐらいがせいぜいの頃、目撃した2台の本格リジッドCHOPPER。
うちの1台(後にCB350か250ベースと判明)を駆る外人は、金髪ロン毛に陣笠(大名行列とかでかぶってるアレ)という出で立ちで渋谷・青山近辺のマニアの間ではかなり有名だった。
「そうか、FUCK THE道交法。自分で造ればいいんだ」
と、当たり前のことに気付いた。
その他、先輩のを無理やり奪って山手通りを爆走したDT250(先輩はその後、交機に就職)で味わった無敵のガッツポーズ感や、CB500FOURで事故った姉貴の彼氏の武勇伝。
中坊のくせに常に数台のバイクを持っていて、最初の難関=クラッチの繋ぎ方や直結の仕方等いろいろ教えてくれた同級生の存在など、恵まれた環境が影響したと思われる。
★ 2 ★
21世紀の初ツーリング先に選んだイスラエルで、パレスチナゲリラに誤認狙撃されるかもしれない恐怖に打ち勝ち、ダビデ王の門をくぐり大聖地エルサレム旧市街に入った時。
ローマ人に占領支配されてた聖都に弟子たちを率いて攻め上ったキリストも、その時こんな高揚感を感じたのだろうとマジで想った。
★ 3 ★
25歳。
さる重大交通違反の現場から逃亡し、交通刑務所収監は辛くも免れたものの罰金30万円+免許取り消しとなった。
KC庁の聴聞会にはBIKEで出向いていたので少し困ったが、最大のダメージは1年後再取得できたのは中型免許だったこと。
CBに乗れない。
当時これには「生存の理由を失った」と思い込むほど凹んだ。
19歳。
憧れのマンドリン奏者(♀)とタンデム中、西湘バイパスのPA入口のカーブでコケたこと。
技量を超えて寝かせたのが原因。
無論「しがみつき」を期待した、若くもさもしい下心の苦い代償である。
22歳。
BIKE屋めぐり中の、ロス郊外でのヒッチハイク強盗事件。
生涯ただ一度、自分を向いた銃口を間近に見た上に、2度もセンズリをかかせられた犯人のホモ野郎のクルマに足を轢かれた。
その他数え上げればいくつかの痛恨事があるが、それらが今在る自分の生き方に導いてくれたと思うとすべては大した問題ではなく、その場の都合が悪かっただけで大変ラッキーで幸せな経験だったと思える。
ただひとつの例外がインドツーリング中の出来事。
50kmも走らぬうちにブチ壊れたENFIELD INDIA 350を貨物列車に載せて旅を続けていた。
突如その小さな貨物車両に2組、合計30人ほどのお弔いさんが担架に死んで間もない死体を載せて乗り込んできた。
左右を15名ずつぐらいのインド人に挟まれ、スシ詰め状態での押しくら饅頭(一般のインド人には譲り合いという発想はない)の中、省スペースのためにBIKEにまたがったのがアダとなった。
そのうちの何人かが勢い余ったか故意なのか、俺を突き飛ばす格好になり、俺は極彩色のインド織物、たぶん化繊の安物に包まれた仏さんの上にダイブして落ちた。
この事件は俺の死生観、宗教観に少なからず影響を与えた経験で、現在もなお、想い出すと奇妙なあの感触とともに後味の悪さがよみがえる。
今でも起こったことの本当の意味を図りかねる、40の誕生日を間近に控えた1998年の年の瀬だった。
★ ★ ★
facebookを見ていたら「Koichiro Suga」という物騒な名前が目についたので、メッセージを送ってみたらドイツから返事が来た。
須賀さんの家業は放浪の革ジャン絵師。
謎だよね。
書いてて俺も謎である。
須賀さんと初めて会ったのは15年くらい前で、今回会ったのは10年ぶりくらいだけど、その生態は謎に包まれたままだ。
顔は知っている。
目にしたことはある。
という意味では、須賀さんの生態の謎に包まれっぷりはウナギとかに似ているかもしれない。
でも、そのくらいでいいかなって生き物もいるじゃない。
マグマで極沸騰した普通の生き物なら瀕死なこと間違いなしの熱湯が吹き出してる深海の底で生きている真っ白いカニとかちっこいエビとかゴムチューブみたいなカタチのやつとか、みちみちに生態が解明されてないほうがいろいろ想像出来て、尊敬出来て、楽しいじゃない。
だから俺は須賀さんをあんまり解明しない。
ずっと謎が謎呼ぶ人のままでいてもらう。
ひとつだけ言えるのは、この人は妖怪です。
ってことですね。
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