ザス! 先輩! 〜俺はともかく先輩を語ろう〜 |
当時の俺の愛車はSUZUKIが誇る栄光の末裔 RGV250ガンマ!(VJ22A型ね)
これがパワーあり過ぎちゃって怖ェのなんの速ェのなんの(いや、速ぇヨ)
俺自身、なかなかのヘタれっぷりな運転だったんですね。
エンジンブレーキの効く4stレプリカあたりにしとけばよかったんだろうけど、気に入って買ったんだし、今さら買い換えるなんて出来ねぇし。
それでも「ようやく慣れたかぁ?」なんて思ってた頃に峠で大クラッシュ!
あわやダムの底でブラックバスのエサになるトコでしたわ。
それで見かねた小先輩!
「オレが2st本来の乗り方、教えてやんよ!」(※こんな言い方ではなかったんだが記憶上はこんな感じ)
と、誘われるまま峠へ……。
その小先輩の愛車ってのがアンタ、YAMAHAが誇る名車 RZ250(初期型)
エンジンは350ccに換装してブレーキもWディスクにしてあったけど、基本的にはノーマル風。
チャンバーやら何やらは付けてまへん。
1991~92年だったから、名車つーよりも旧車ですわね。
後ろに乗っけてもらい、「ベケンベケン」と空ブカシ。
見知らぬ峠道へと繰り出す革ジャンの細男(小先輩)と大男(俺)……。
タンデムなのに、まるで1人で攻めるかのような小先輩!
しがみつきたくないのに嫌々ベルトを目一杯絞り上げる俺……。
これがまぁ~速いんだ!
いや、「上手い」と言った方が適切か。
常に6000回転以上をキープ。
ギアチェンジもスムーズ。
無駄に腰を落とさず、凄まじいスピードでコーナーに弧を描いていく。
ただただショックな俺……。
だって10年以上も古いバイクで、それもタンデムしたままで最新レプリカ以上の走りなんだもの。
今でこそかなり大人しくなっておりますが、その昔はロンゲにグラサン、喧嘩もめっぽう強く、それはもう声のかけづらい方でござんした……。
しかし、俺も負けてはおりません。
その頃のアッシも目ツキは悪く、改造した特殊警棒をフトコロに忍ばせ、黒の革上下に黒いバイク。
文字どおり腹の底まで真っ黒だったんですなぁ~。
「今からみんなでコーヒーでも飲みに行かねぇ?」
誰かがそんな提案をしました。
目指すはココから15kmほど離れた小さな喫茶店。
そりゃ集会ですから、クラブ・チーム・個人と様々おりまして総勢30名~40名ぐらいはいたと思います。
しかも負けず嫌いな漢(オトコ)たちばかり。
公道レースになるのは自然の流れでしょう。
俺はVガンマ。
バイク便も経験し、乗り出してからすでに3年以上もの月日が経っておりました。
元プレスライダーの相棒はRZ250改。
350Rエンジンに、キャブ、チャンバー、サスその他モロモロすべて変更のフルチューン仕様。
この頃は2人してデタラメな運転ばかりしておりまして、ビックバイク相手でも、ちょっとやそっとじゃ負けることはありませんでした。
集会場所から出た交差点の信号が青となり、ダンゴ集団をかき分けてアタマを取る俺とツレ。
2stの煙は後続車への煙幕として十二分に活躍したようです。
右へ左へとアミダで国道202号線と国道3号線を編み倒し、ゴール目前。
「ケッ、大したことねぇなぁ……」
なんて思っていた矢先、中先輩の駆るポンコツTZR250が「スッ」と前へ……!?
そう、実は最初っから俺らの死角に入ってズ~ッと追走していたんですな!
しかもリキまず、気楽な雰囲気で「ススス……」と離していきやがります。
一瞬、下に目をやると……。
メーターの針はすでに180km/hを振り切っている!
細〜い1車線になっても中先輩はアクセルを緩めることはありませんでした……。
カランコロンと喫茶店のドアを開け、まるで散歩の途中で寄ってみたかのような雰囲気で息も乱さず……。
1960年代後半。
日本で最初に「看板(カンバン)」という概念を持ってこられたこの大先輩は、別に走りを教えてくれたワケじゃあない。
かと言って勉強を教えてくれたワケでもなく、社会を教えてくれたワケでもない。
金を貯めてオフ車で日本一周の旅をしている途中にフラリと立ち寄った小さなバイク屋の2階。
厚く、重く、硬い扉の向こう側には、そりゃもうワルの映画でしか見たことのないような別世界がドドーンと広がっておりましてねぇ……。
噂には聞いておりましたが、やっぱア然としましたわ。
その大先輩はその暗く紫煙揺れる部屋の一番奥に鎮座し、俺にイチベツをくれると、こう言いました。
「よく来たなぁ。まぁ、座れ!」
ウス!
そう言って椅子に座ろうとするが、何やらヘンテコリンな椅子だ。
背もたれの向きがどうにもオカシイ。
俺が180度回転させようとすると……。
「ガハハハ! その椅子は、その棒を挟むように座るんだ。お前、バイク乗りだろう? ニーグリップの要領だ!」
なるほど。そんな洒落の効いた椅子だったとは。
ビールが次から次へと出てくる。
手土産のひとつも持って来なかったことを後悔した。
「関係ねぇ! 博多モンは酒がないと始まらんだろう? とにかく飲め! ガハハ!」
……そこから4、5時間以上は話しただろうか。
とりとめもない俺のヨタ話に大先輩はいろいろと投げ返してくれる。
旅、バイク、クラブ。
人、物、金。
果ては脳の話や能(能楽)の話まで……。
ひたすらそんな感じ。
豪快で繊細で、怖くて優しい。
大先輩は最後に、俺の真新しい看板をゴツい掌で撫でながらこう言ってくれた。
マサキから博多に来るって聞いて楽しみにしてたんだけど
残念だった
が
生きてたんだ
良かったよ