ファビアン & TRIUMPH T120 Brighton Rocker(20090823) |

福生は燃えていた。
ファビアン君も燃えている。
この日は横田基地のお祭りだった。
撮影後が終わったら、友達のお店までテキーラ屋をしに向かうのだという。
テキーラ屋とはなんぞや。
それはテキーラを作るのではなく、お客の注文が入る度に『Tequila』を演奏するという音のテキーラ屋なのであった。
ン〜〜ッ、テキーラッ!
そんな福生のテキーラ界(狭いか)の第一人者ファビアン君に、僕から3つの質問がありヤ〜ス。おせーてくださ〜い。
Q1:バイクに乗ろうと思ったキッカケっていうか、影響受けたモノを全部おせーて。
Q2:「バイクってサイコー!」って思った時のこと、おせーて。
Q3:史上最悪の出来事をおせーて。

幼稚園の頃、親父がバイクで幼稚園の送り迎えをしてくれたこと。
★ 2 ★
トライアンフの納車の日。
トライアンフでアクセルを開けてトルクを感じる時。
★ 3 ★
ロック。
お酒。
女。
バイクが好きな自分。
★ ★ ★
デカイ。
なんだこの大盤振る舞いな広さのショッピングモールは。
家族連れ。
高校生カップル。
何が楽しいんだか分かんないけど楽しそうな女子中学生の群れ。
広大な駐車場の片隅では、助手席に教官役の旦那を乗せた若奥様が、初心者マークを付けたファミリーカーで運転の練習をしている。
平和だ。
お盆休みが明けた次の日曜日は存在感が薄い。
ぽつ〜ん。
カレンダーでいうとそんな感じだ。
高校野球でいうと外野の補欠って感じだ。
空気がユルい。
パッとしねーなあ。
どっかからバッキバキのロッカーズでもこねーかなあ。
圧縮比11:1のハイエナジーで、回しちゃあピストン壊しまくってるみたいなバッキバキの。
駐車場の向こうに爆音が響いた。
まさか。
この音は。
もしや。
あの黒い弾丸は。
Brighton Rockerじゃないのかーーッ!?
いや、約束してたんですけどね、その駐車場で。
Brighton Rocker。
人づてに聞いた伝説のバイク。
そのスジでは「Brighton Rockerと言えばそりゃーもう!」なレジェンドマシンとのことなのだが、僕はまったく知らなかった。
失礼なヤツである。
だからおせーてファビアン君。
ファビアン君が大切に保管している、当時英国で発行されたバイク雑誌には、その勇姿が何ページにも渡って紹介されている。
Brighton Rockerが生まれたのは1966年。
1971年にサンタポッドサーキットでのドラッグレースに出場。
750ccクラスで優勝。1/4マイル:13.37秒を記録。
同じく1971年。
マディエラドライブサーキットでの最高速トライアルレースに出場し、25.5秒で120マイルを記録する。
英国王国認定のクリスタルパレスレースにも出場した経歴を持つ。
つまりはバッキバキのレーサーだったわけで、圧縮比11:1というたぶん当時としてはそーとー無茶な設定もすべては勝利と記録のための必然だったに違いない。
当時のトライアンフ・オフィシャルディーラー『レッドヒルモーター』のロン・ギアリーの手によって、2年掛かりで組み上げられたBrighton Rockerはいつしか海を渡り、ファビアン君に一目惚れされて3年掛かりで口説かれ、落ちた。
それはROCKERS FABIANの誕生の瞬間でもあった。
「あらアナタ、エルビスみたいねえ」
ハタチの頃、Charlie & The Hot Wheelsのバディーさんに連れられて行ったアメリカで、ファビアン君はよくこんな言葉を掛けられていた。
目的は古着と家具の買いつけだった。
アンティークショップを回る日々の中、あるショップに入った。
黒髪にリーゼントのオリエンタルボーイを見て、店員のオバちゃんが言った。
「エルビスみたいね」
いつものことだ。
「はいはいサンキュー」
いつものように答える。
すると横から違うオバちゃんが出てきて言った。
「エルビスよりもFABIANに似てるわよ!」
帰国後のライヴ。
Charlie & The Hot Wheelsのヘルプでギターを弾く。
「ステージネームはFABIANね」
バディーさんは、オバちゃんの一言を覚えていたのである。
それはROCK’N ROLLER FABIANの誕生の瞬間だった。
何回も生まれるって、いいね。
ファビアン君率いるガレージバンド『ミネソタブードゥーメン』のHPは下記以外のなにものでもありませんのでよろしくどうぞ〜。
http://theminnesotavoodoomen.web.fc2.com/
