ビッグスクーターはなぜこんなにも増殖したのか? PART2 |
PART1で2人の検証人が出した答え。
1つは「全身全霊がダルいオニイちゃんにハマった」説。
もう1つは「ビッグスクーターは現代のオニイちゃんに見られがちなチャレンジしたがらない精神そのもの」説。
どちらも正解、というかこのお題、人の数だけ答えがあるような気がするので、さらにもう1人、二輪誌編集長経験を持つきんたまのダンナ(言うまでもなく仮名)に検証していただきます。
★第1部★
ビグスク。
なんか不愉快ですね。
スクーターがじゃないんです。
「ビグスク」ちゅー語呂がよくないと思いませんか?
鼻に力を込めた声で「ビグゥスクゥ〜ゑ」と言ってみてください。
あなたもきっと嫌いになることでしょう。
きんたまのしわがリラックスしたので本題。
「なぜビグスクが売れているのか?」でしたね。
答えは簡単です。
「みんな買うから」です。
バカにしてんのか?
もちろんしていません。
ものを買うということは、安いから、便利だから、単に欲しいからなどなんらかの理由があるはずです。
では、「なぜみんながビグスクを買いたくなってしまったのか?」を捜す旅に、タイムマシンきんたま号に乗ってでかけましょう。
「ぐるぐるぱぴんちょぱぺっぴぽ〜」
さあ、モグたんといっしょに出発(涙)。
まずは、今から20年ほど前の1989年の250クラス登録台数ベスト10を振り返ってみます。
1位 HONDA CBR250R(16313台)
2位 HONDA NSR250R(16109台)
3位 YAMAHA FZR250R(11467台)
4位 YAMAHA TZR250R(9799台)
5位 HONDA VT250スパーダ(9204台)
6位 SUZUKI RGV250ガンマ(7678台)
7位 Kawasaki KDX250SR(7411台)
8位 Kawasaki ZXR250(7283台)
9位 YAMAHA セロー(6516台)
10位 HONDA XL-BAJA(6091台)
<TOTAL 97871台>
と、ビグスクは影も形もありません。
10年後の1999年になると……。
1位 YAMAHA TW200(9313台)
2位 SUZUKI スカイウェイブ(2772台)
3位 YAMAHA マジェスティ(2233台)
4位 HONDA フォーサイト(1865台)
5位 YAMAHA ランツァ(1853台)
6位 HONDA ホーネット(1727)
7位 Kawasaki エストレヤ(1686台)
8位 Kawasaki バリオスⅡ(1439台)
9位 HONDA SL230(1388台)
10位 Kawasaki KLX/D-トラッカー(1343台)
<TOTAL 25619台>
と3台がベスト10入りしています。
そして、2008年は……。
1位 HONDA フォルツア(9416台)
2位 SUZUKI スカイウェイブ250SS(4569台)
3位 YAMAHA マジェスティ(4219台)
4位 YAMAHA マグザム(4012台)
5位 Kawasaki Ninja250R(3724台)
6位 SUZUKI スカイウェイブタイプM(2815台)
7位 YAMAHA WR250X/R(2651台)
8位 SUZUKI グラストラッカービッグボーイ(2123台)
9位 YAMAHA セロー250(1453台)
10位 YAMAHA ドラッグスター250(1114台)
<TOTAL 36096台>
半分の5台がビグスクですが、台数的にはぶっちぎりの差があるのが解ってもらえるでしょう(ビグスク25031台/その他11065台)。
この無駄に長いようにみえる数字の羅列ですが、これこそがビグスク全盛までの道のりを如実(にょじつと読みます。老婆心ながら)に示しているので、めんどくさいでしょうが、よーくながめておいてください。
そもそも日本では「ビグスク(なんて言葉はなく、大型スクーター)は成功しない」と言われ続けていました。
その原因は、日本が焼け野原から立ち直りつつあった1950年代後半から1960年代に起きた第一次スクーターブームが原因です。
敗戦で飛行機の製造を禁止された三菱や中島飛行機(=富士重工)が、とりあえず商売しなきゃと、1946〜47年頃からスクーターを作り始めました。
海軍の爆撃機「銀河」の尾輪を流用したと言われている伝説の富士重工のラビットS1や、中日本重工業(=三菱)のシルバーピジョンC10 など、ビグスクの始祖が誕生したのです。
当時は自転車か、自転車に補助エンジンを付けた「バタバタ」が主役。
そこに動力性能はともかく、モダンな外観のスクーターが登場すれば、売れて当然です。
折良く日本はかつてない高度経済成長期に突入し、働けば働いた分だけ豊かになる夢のような時代でしたから、車は無理でもビグスクなら、少し無理をすれば手が届いたこともあり、ちょっとしたブームになりました。
126cc以上の中型クラスは、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で宅間先生が乗っていたように、お医者さんや中小企業の社長など小金持ちのステータスシンボル。
125cc以下は公官庁や銀行、商店の配達用などのビジネスユース、ごく一部では若者の足としても急速に広まりました。
しかし、あまりに急激な経済成長は、もっともっと贅沢を求めた3C(カラーテレビ、クーラー、カー)時代へと突入。
1960年代の中盤には、カローラやサニーなど一般化しつつあった大衆車や軽自動車にどんどんシェアを喰われていきます。
125cc以下のスクーターも、1958年に登場したスーパーカブにはすべての面で勝てませんでした。
ビグスクは起死回生を狙って豪華装備や新技術を投入しますが、それでなくても非力な上に重く、高価になり、さらに奇抜な新技術は故障を招き、1968年に2大ブランドのラビット(富士重工)とシルバーピジョン(三菱)がスクーターの生産を終了。
HONDAもYAMAHAも社運をかけたスクーターがまったく売れず、一時は会社自体の存続がヤバいんじゃないというところもまで追い詰められてしまいました。
「ビグスクは車の代用品で、車が一般化したらもう売れない。ヘタに手を出すと会社が傾く」
このトラウマはかなり深かったようで、しばらく日本でビグスクが商品化されることはありませんでした。
と、ここまでがビグスク前史。
きんたまのしわがほどよく伸びたところで次の時代にワープします。
飛ばされないように、しわにしっかりつかまってくれよー(ぐっさん風に)。
★第3部★
1970年代後半、再びスクーターブームが訪れます。
1976年に発売されたHONDAのロードパル、通称「ラッタッタ」(ねっ、語呂の大切さを痛感するでしょ?)は、自転車感覚のファミリーバイク(オートマだけど、ステップスルーじゃないからスクーターとは言わなかった)と呼ばれ、今までバイクを知らなかったバイクバージンのおばちゃん達にヒットします。
その対抗馬として1977年、YAMAHAからパッソルが登場。
足を揃えて乗ることが出来るステップスルーのパッソルは、イメージキャラクターに八千草薫さんを採用し「私にも乗れました」とやったもんで、どですかで〜んの大ヒット。
おばちゃんだけではなく、なぜかヤンキーまで、幅広い層に受け入れられました。
「おばちゃんもヤンキーもサンダルが好き=ステップスルーのパッソルならサンダルでも安心」というのが、大ヒットの原因じゃないかと思います。
だから、オジサン達には受けませんでした。
まだまだ昭和。
男尊女卑の世代ですからスクーターは女子供の乗り物。
「男は黙ってスーパーカブ!」でした。
この第二次スクーターブームは50ccがメインで、まだビグスクは登場しません。
びろーんとたまきんのしわも伸びきったところで、いよいよビグスクの誕生。
とその前に、誕生にいたる経過をおさらいしましょう。
第一次スクーターブームにより、1976年/130万台、1977年/162万台、1978年/197万台と、ものすごい勢いでバイクは売れ続けました。
万年2位のYAMAHAとHONDAのシェアは肉薄。
宿敵HONDAを射程にとらえたYAMAHAは次々とニューモデルを投入。
HONDAも負けじと応酬し「HY戦争」が勃発します。
需要を無視した新車ラッシュにより、10万円値引きは当たり前。新車スクーターも2〜3万円で投げ売りされるという乱売合戦となり、1980年237万台、1981年306万台、そしてHY戦争のピークとなった1982年の出荷台数は史上最高の328万台を突破! というとんでもない大バイクバブル時代でした(ちなみに2007年の出荷台数は52万台……)。
体力勝負の大乱売合戦にギブアップしたYAMAHAは、1983年敗北宣言しHY戦争は終結します。
が、大きくはずみが付いたバイクブームはまだまだ続きました。
HY戦争が一段落した1984年、HONDAからひさびさのビグスク、フリーウェイ(250)が登場します。
ひょっとしたら、「売れない」と敬遠され続けたビクスク市場を独り占めすべく開発された「HY戦争の秘密兵器」だったのかもしれません。
ただし、古今東西の歴史を顧みても、秘密兵器が決め手になるかというと、そうとは限りません。
バイク高度成長期の1980年代、バイクはレーサーから技術を移植したレーサーレプリカと呼ばれる高性能車が主役で、レーサーレプリカにあらずんばバイクにあらず的な激しい時代。
いすゞBXや国鉄キハ81を思わせるもっさりした、昭和デザイン丸出しのフリーウェイが、変なバイク扱いされても当然と言えば当然です……。
先見の明のある一部ビジネスマン達に使われたぐらいで、ブームどころかほとんど見向きされなかったのが現実でした。
レーサーレプリカの性能どんどん上がり、最新メカがぎっしり搭載され、ものすごいことになっちゃった1980年代の末期。
腕がなければ性能を発揮できない。
高価になればおいそれとは買えない。
さらにバイク事故が激増して世間の目は冷たくなる一方で、警察の取り締まりもさらに強化されていきます。
でも、若者にとってバイクはまだまだが魅力たっぷりであり、「乗りたいのに乗りたい(乗りこなせる)バイクがない!」というジレンマがピークを迎えます。
そこにひょっこりと出てきちゃったのが、後世に語り継がれるKawasakiのゼファーです。
1989年の登場時、Kawasaki関係者ですら「こんなもん売れませんよ」と言った逸話があるほど普通のバイクでしたが、高性能・高価格なバイクに飽き飽きしていたごく普通の人達は、「これだよ、待ってたよ! うひゃ〜」と飛びつき、ゼファーは1990年代で最も売れたバイク(約9万台)となりました。
「ゼファーの大ヒットとビグスクはなんの関係もないじゃん!」と思われるでしょうが、ゼファーの登場はバイク界を180度転換させる出来事だったのです。
「なーんだ、バイクってレーサーレプリカだけじゃないんだ」と気がついた普通のバイク好きは、サーキットでしか本来の性能を発揮できないレーサーレプリカをさっさと見切り、1990年代中盤になるとネイキッド、ビッグバイク、アメリカン、シングル、ツインスポーツ、オフロード、旧車、外車などあらゆるジャンルのバイクがとっかえひっかえブームになります。
高性能のバイクを作って「どーだ、すごいだろ。欲しいだろ!」と大量生産していたメーカーは、ニーズの多様化に右往左往。
次にどんなバイクが売れるのかさっぱり分からなくなり、ネイキッドが売れれば何でもネイキッドにしてしまい、アメリカンが売れればなんでもかんでもアメリカン風にと多種多様なバイクが誕生しました。
さらに時は平成、バブル景気の末期。
金がある上、「ゆとり」とか「個性」とか、本来日本人が最も苦手とした部分がクローズアップされ、勤勉実直な日本人が壊れ始めた時代でもありました。
こんなゆとりの時代に、ゆとりある大容量メットインスペースを新設して1990年、フリーウェイはフルモデルチェンジします。
スタイルも昭和丸出しから、曲線を基調としたスタイリッシュな平成デザインへと大変身。
ここで世間は、やっとビグスクという存在に気がつきます。
「楽ちんだし、収納スペースもあるしビグスクっていいじゃん」
HONDAが売れればYAMAHAも動く。
そして1995年。
ビグスクブームの決定打として、YAMAHAのマジェスティが登場します。
★第6部★
マジェスティがなぜ売れしたのかは諸説ありますが、「ほのかにクラウンの香りがした」ことがヒットした最大の理由ではないかと思います。
オヤジとヤンキーの憧れ、「いつかはクラウン」のTOYOTAクラウン。
日本人が最もとっつきやすい高級感。
解りやすく扱いやすいそこそこの高性能。
行き届いた装備。
いつの時代も売れているクラウンと同じニオイを、マジェスティに感じませんか?
感じなくてもいいんですが、オヤジとやんちゃ坊主はたしかに感じたのです。
発売翌年の1996年にはトップセールスを記録。
相乗効果でクラウン系オヤジ&やんちゃ坊主が好きそうなカスタムパーツも充実し、マジェスティは一大勢力を構築していきます。
カスタムといえば、キーワードとなる「規制緩和」が行なわれます。
改造=違法だったのに、1995年に運輸省(現国土交通省)が出した、ひとつの通達によって事実上改造は公認されます。
そこにゆとりやら個性という魔物が合体し、「カスタムにあらずんばバイクにあらず!」状態になります。
新興のカスタム屋さんは、発売当初は誰も見向きもしなかったTWやフュージョンに目を付け、今までの常識にとらわれないストリート系とかシブヤ系といわれる新ジャンルを生み出していきます。
この新ジャンルは、どういうわけか若者に受け、新興カスタム勢力は新型インフルエンザもクリビツの大増殖をしていきます。
2000年代に入ると、あれほど百花繚乱状態であったバイクは、急激に減少します。
規制緩和により、バイクを取り巻く環境は急速にフリーダム風になっていくのに対し、バイクの販売台数は右肩下がりの減少を続けます。
携帯電話や家庭用ゲーム機が普及し、若者がバイクに興味をなくした結果と言われていますが、多種多様なブームに振りまわされたメーカーが魅力的なバイクを作れなかったことも大きな原因でしょう。
そんな状態でも、HONDAのフォルツア、シルバーウイング、SUZUKIのスカイウェイブ250〜650、YAMAHAの新型マジェスティ、マグザムなど、ビグスクは次々と誕生します。
使ってみれば、バイクより楽ちんで収納スペースもあるし、気を遣わず乗り回せるビグスクは、通勤通学ビジネスユースにと売れ続けますが、新たな需要を生み出したのではなく、普通のバイクからの乗換がほとんどでしたから、ビグスクは全盛時代でも「ビクスク売れて、バイク滅びる……」で、二輪業界は冬の時代を迎えます。
フリーウェイが点火した種火に、マジェスティが油をぶちまけ、フュージョンやらカスタムがあおぎまっくって大炎上させた。
簡単に言うと、近代ビクスクの歴史はこんな感じです。
で、肝心の「なぜ、ビクスクが売れたか?」は解りましたか?
解るわけないですよね。
私もよく解りません。
でも、親切なメーカーさんが若者のニーズに応えるべくスクーターをせっせと出し続けているのに、ここにきてビグスクもついに失速気味……。
「なんでビグスクが売れるのか?」なんて、そんな心配はしなくていい時代がそこまで来てるのかもしれませんよ。
ああ、怖い。
詳細なデータと史実に基づいた「ほのかなクラウンの香り」説。
ついついラッコ乗りのオニイちゃんばかりが目についちゃって見逃しがちだけど、確かに陰で増殖を支えていたオヤジ率の高さはそーとーだったかも……と、改めて気づかされた次第。
オニイちゃんだけが熱狂したわけでも、オヤジだけが支持したわけでもなく、使い方も乗り方もカスタムのやり方も相容れない両者が、ビッグスクーターというジャンルの中で無意識に共存していた不思議。
ここには、新たなマーケットを開拓するヒントがある。
わきゃない。
でも、最近 周りは もの凄く バイクブームです。
若い子でも 旧車が流行だったりもしてます。 私の周りだけでしょうか?
バイク業界を憂いている気持ちは伝わるのですが、『おまる』だ『ゆとり』だと、なんとも酷い言いぐさですね。
ビッグスクーターはそんなに駄目なんですかね。今の若者はそんなに馬鹿なんですかね。
たいそうご立派な事を唱えながら、あなたの文章はそれに伴ってないように感じますが。
運転に関して言うと、ビッグスクーターはニーグリップができないし、250にしては小回り効かないのでマニュアル車より難しいですよ。
バイク乗りに対して思うのは、このブログと正反対ですね。最近のバイク乗りはワイルダー気取りのファッションオタクが増殖していて、本当に気持ち悪いです。
寧ろ、所謂「ファッションバイカー」こそが
ビグスク(もしくはストリート)に乗っていると思いますが・・・。
勿論、彼等は見た目重視(私視点では悪い方向に)。
電飾ピカピカさせたり、騒音マフラーやカーステレオ、三段シート・・・。
私から見れば、勿論贔屓目はありますが、
ビグスク(orストリート)乗りのヤンキーの方が気分を害します。
私の周りだけですかね?それなら失礼しました。
フュージョンを今っぽくいじり出したのがビクスク文化の始まり。そこにマジェの登場でヤマハに足元をすくわれたホンダ。
ちなみにマジェCに乗った(所有した)けど、やっぱ俺にはダメだわ。バイクを操ることに楽しみを見出す人間から見るとビクスクはつまらなく感じてしまう。
趣味嗜好が違うのは仕方ないんだから、他人の趣味にケチつけてもラチあかないでしょ。
単車乗りとビクスク乗りは、バイクに関して趣味が合わないってことだね。
ビクスクが好きなら、ガッツリとビクスクライフを楽しみなよ。
ビクスクの人はそっち系の情報誌見てりゃいいし、お洋服が好きなライダーはお洋服雑誌、ハーレー乗りはハーレー雑誌、ちゃんと住み分けできてんだからさ。
服装だって街中は好き好き、サーキットではツナギ、寝るときはパジャマ、ってだけの事じゃん。
好きな様にやってりゃいいんだよ。
みんな自分らしくしてりゃそれでいいんだよ。
他人の趣味にケチを付け出したらきりがねぇもん。
筆者がビクスクにケチを付けてるって?
気にすんなよ、小さなことを。
しかし最近私はスカイウェイブを中古で買いました。
なぜスクーターにするかって?「 荷物を大量に積めて便利、長時間の乗車が楽で風を受けない 」これ以外にありません。
長距離運航も一般の単車だと疲れるところを意外と平気だったりしますからね。
バイクを足として機能的にとらえるか、走りを楽しみたいか、ファッションの一部として捉えるかでニーズは千差万別だと思います。
珍走団の影響もあるのか、スクーターはバイクじゃないって言う方の考えはよくわかりませんが、スクーターをバカにするってことはバイクをファッションとしてと捉えており、バイクで格好つけたいってことなんだと思います。ファッションバイカーをバカにする筋合いはないんじゃないですかね?